東京地方裁判所 昭和57年(行ウ)24号
原告
白石ヤス子
右訴訟代理人弁護士
池田眞規
被告
中野労働基準監督署長 大澤幸也
右指定代理人
林茂保
同
堀千紘
同
伊藤信夫
同
谷口信義
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告に対して昭和五五年三月一九日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決を求める。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨の判決を求める。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 亡白石平吉(以下「平吉」という。)は、昭和三年一月二六日生れの型枠大工であり、梶原工務店に雇用されていたものであるが、昭和五一年一二月二六日、東京都杉並区下井草二丁目三五番一号小菅辰夫邸(以下「本件建物」という。)新築工事の現場においてコンクリート型枠工事(以下「本件工事」という。)に従事中、午前八時三〇分から午前九時ころまでの間に頭痛を訴えて倒れ、救急車で前田病院に収容されたが、同月三一日午前一一時に脳出血により死亡した。
2 原告は、平吉の妻であって、平吉の死亡当時その収入によって生計を維持していたものであり、かつ、平吉の葬祭を行う者である。
3 原告は、平吉の死亡は業務上の事由によるものであるとして、被告に対し、労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、被告は、昭和五五年三月一九日付けで、平吉の死亡は業務上の事由によるものではないとして、遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。原告は、本件処分を不服として東京労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、右請求は棄却された。原告は、更に労働保険審査会に対し再審査の請求をしたところ、昭和五六年一一月一二日付けで再審査請求を棄却する旨の裁決がされ、その裁決書は同年一二月一七日原告に送達された。
4 しかしながら、平吉の死亡は業務上の事由によるものであるから、本件処分は違法な行政処分であり、取り消されるべきである。
二 請求原因に対する認否
請求原因1ないし3の事実は認める。
三 抗弁
平吉は本態性高血圧症の基礎疾病を有していたところ、以下のとおり、本件工事の業務内容、平吉の勤務状況からみて、基礎疾病の自然増悪を越えて脳出血を発症させるに足りる過度の身体的疲労や精神的緊張があったものとは考えられず、気象状況も平吉の健康上問題となる要因はなかった。平吉は、基礎疾病である高血圧症の自然増悪によってたまたま業務遂行中に脳出血を発症して死亡したものであり、これが業務に起因するものとはいえないから、本件処分は適法である。
1 業務内容
平吉は、昭和三七年一月に原告と結婚した以前から型枠大工として身を立てており、十分な技量と経験を有していたもので、発症当時手掛けていた本件工事も、一般の居住建物としては複雑な部類に属するとはいえ、心身をすり減らすほど複雑困難なものではなく、平吉の技量と経験からして十分にこなし得るものであった。また、作業はごく順調に進行しており、その工期自体も切迫したものではなかったし、必要な場合にはいつでも使用者である梶原工務店から指導や応援を求め得るものであった。したがって、本件工事が、平吉に対して強度の精神的緊張及び肉体に過激な労働を要求するものであったとは考えられない。
2 勤務状況
平吉は、通常、午前六時三〇分から七時ころまでの間に家を出て、午後七時三〇分から八時ころまでの間に帰宅しており、労働時間は割合に自由であった。本件工事における出勤状況は、昭和五一年一〇月は二六日間稼働、五日間休み、一一月は二五日間稼働、五日間休み、一二月(二四日まで)は二三日間稼働、一日休みというもので、残業についても、本件工事現場においては実際上残業を行い得ない環境にあり、忙しくなったとされる一二月下旬ころでも、帰宅時間は大体午後八時から九時ころという程度にすぎなかった。また、発症の前日は、午前九時ころ出勤し、昼ころに帰宅している。したがって、平吉には発症の前日までに過激な業務による肉体的疲労の蓄積があったものとはいえない。
3 気象状況
発症当日の中新井観測所(現場から直線距離約四キロメートルのところにある。)における気象状況からみると、午前六時、七時、八時、九時の気温は、それぞれ三・四度、三・三度、三・七度、四・〇度であって、前数日間に比べても気温が高く穏やかであり、例年の同日ころの気温と比べても何ら低いものではなかった。そして、平吉は、この時期の気候に対して十全の防寒態勢を整えていたのであって、当日の気象が平吉の健康に影響を与えるようなことはなかった。
四 抗弁に対する認否及び反論
抗弁のうち、平吉が本態性高血圧症であったことは認めるが、その余は争う。
平吉は、死亡当時四八歳であったが、本件工事に従事する業務により、年齢と以下にみる諸条件とが共同原因となって高血圧症が急激に増悪し、その結果、脳出血を発症して死亡するに至ったものであるから、平吉の死亡には業務起因性が認められる。
1 業務内容
本件建物は宣伝用モデルハウスとして設計された変形した造りとなっているため、本件工事は細かな細工が必要とされる複雑かつ神経を使う特殊なものであって、平吉のような熟練した大工にとっても初めて経験する困難なものであった。しかも、本件工事を担当した三人の大工のうち、平吉を除く二人は腕も未熟であったため、平吉が監督者的立場に立って種々の配慮をし、かつまた、複雑な作業は自らがすべて担当しなければならなかった。更に、工事日程上コンクリート打ちの日が目前に迫っており、この日までに作業を終了することが必要であった。
2 勤務状況
1のような本件工事における平吉の立場や工事日程の関係から、平吉は自発的に休日返上や早出と残業を繰り返した。特に一一月二二日から発症する一二月二六日までの三五日間に休んだのは一二月五日の一日だけという過密な勤務状況であった。また、普段は午後七時ころに帰宅し午後九時ころには就寝していたのに、一二月半ばころからは午後八時すぎ、九時すぎに帰宅するようになって、就寝も午後一〇時、一一時となり、同月二四日はいつもより早く家を出て午後一一時すぎに帰宅し、翌二五日は雨で休みなのに仕事が気になると言って出掛け、発症当日の二六日もいつもより早く午前六時すぎに家を出ている。このように、一二月に入ってからの平吉の労働密度は一段と厳しいものとなっていて、平吉自身、原告に対して珍しく「疲れた」、「雨が降るといいな」と言っており、精神的、肉体的疲労が蓄積されてその極に達していた。
3 気象状況
発症の前々日である一二月二四日に平吉が残業したときはみぞれ模様の寒い夜であり、また、発症当日も底冷えのする寒い日で、たき火で体を暖めないと作業ができないくらいであったのに、平吉は、通常よりも早く午前七時前からたき火にも当たらずに作業を続けるうちに脳出血を発症した。一二月下旬の朝の寒さについては気温だけでは計り得ないものがあり、このような冬の屋外作業は、高血圧症の基礎疾病を有する者に対してその症状を悪化させる要因となる。
第三証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 平吉の死亡と本件処分
請求原因1(平吉の死亡)、2(原告の地位)及び3(本件処分の存在)の各事実は、当事者間に争いがない。
そして、平吉が本態性高血圧症であったことについては当事者間に争いがなく、また、(証拠略)によれば、平吉は、発症当日の午前九時ころ、作業中の本件建物の二階から降り、スケールをもてあそぶようにして何かうわごとを言いながら南側道路上のたき火のところへ近寄ってきたが、間もなく、頭痛を訴えてその場に座り込み、意識不明の状態になったこと、前田病院に救急来院した平吉の容態は、右半身麻痺、吐き気、嘔吐があり、意識は昏迷状態、血圧は一六〇―一〇〇であり、脳出血と診断されたこと、平吉は、止血剤、降圧剤、脳圧降下剤等を投与されたが、漸次意識障害が進行して死亡するに至ったことが認められる。
これらの事実によれば、平吉は、基礎疾病たる本態性高血圧症を患っていたところ、これが増悪したため、本件工事に従事中に脳出血を発症して死亡するに至ったものということができる。
二 業務起因性の存否
1 労働基準法七九条及び八〇条にいう「業務上死亡した場合」に当たるというためには、業務と死亡との間に相当因果関係のあることが必要であって、労働者が基礎疾病を有し、それが原因となって死亡した場合にこの相当因果関係を肯定するには、業務に起因する過度の精神的、肉体的負担によって、労働者の基礎疾病が自然的経過を越えて急激に悪化し、死亡の結果を招いたと認められるのでなければならないというべきである。
2 そこで平吉にこのような精神的あるいは肉体的な過度の負担があったかどうかについて検討すると、まず、以下の事実を認めることができる。
(一) 平吉の業務内容
(証拠略)によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
平吉は、原告と結婚した昭和三七年一月以前から死亡当時に至るまで、一貫して型枠大工をしており、昭和四五、六年ころからは梶原工務店に雇用されるようになった。型枠工事というのは、コンクリートを流し込む型枠を作る工事であって、設計図や型枠施工図から必要なものを書き出し(拾い出し)、図面に従ってベニヤ板に墨で書き付け(墨出し)、ベニヤ板を切ってこれを桟木に打ち付け(下こしらえ)、コンクリートがうまく流せるようにこれを組み立てる(取り付け、建て込み)という手順で行われるもので、この工事が正確にされていないと建物にゆがみが生じたりするため、精密さが要求されるものである。また、図面中に明確な指示がないため大工が現場で原寸を起こして型枠を作ってゆかなければならないこともあり、このような場合には神経を使う作業が要求される。ただ、型枠工事では重量物を持つということはあまりなく、たまに一〇キログラム前後のものを持つことがあるにすぎない。平吉は、型枠大工として十分な技量と経験を有し、梶原工務店に所属する一〇人の大工の中でも一、二の腕の良い大工であった。
本件建物は、鉄筋コンクリート造り塔屋付き二階建ての住居用の建物であるが、モデルハウス用としても使用することが予定されていたため、凝った造りの建物となっていて、床面に段差があり、曲面の部分があり、勾配や角も多く、その型枠工事は、一般的な建物の場合に比べると複雑なものとなっていた。本件工事は、梶原工務店が型枠工事を下請けして、これを平吉と沢田正己、滝田寅蔵の三人に委ねたものであるが、滝田は大工としての腕が落ち、沢田は腕は良いが勤務態度に問題があって、平吉が一番腕も良く性格も真面目であったため、責任者としての地位にあった。本件工事のような複雑な型枠工事は、平吉にとって梶原工務店に勤めるようになってからは初めての工事であったが、平吉は、同工務店の事業主である梶原保久から事前に図面を見せられており、このときに工事が難しいとか工期が短いからなどと言って断ることもせず、また、その後においても、工事が難しいなどと言ったことはなかった。
そして、平吉らは、昭和五一年一〇月二一日から本件工事に従事し、同月二七日には基礎部分のコンクリート打ちが終わり、一一月六日から一階部分の作業を始めて一二月四日にそのコンクリート打ちが終わり、同月六日から二階部分の作業に取り掛かり、同月二七日にはそのコンクリート打ちが予定されていた。本件工事の進行には多少の遅れがあったが、梶原工務店などから特別に工期を急がされたこともなく、必要なときには同工務店に応援を求めることが可能であって、実際にも、平吉の要請に応じて各工程ごとに応援の大工が派遣されていた。そして、鶴田征夫が応援に入った一二月二三日の時点では、二階部分の作業はほぼ八〇パーセントが終了しており、予定のコンクリート打ちに間に合う程度には至っていた。
(二) 平吉の勤務の状況
(証拠略)によれば、平吉の労働時間は割合に自由であったが、出勤時間は一応午前八時とされていて、平吉は、通常は午前六時三〇分から七時ころまでの間に家を出て、午後七時三〇分から八時ころまでの間に帰宅しており、雨が降ったとき以外はほとんど休むことはなかったこと、梶原工務店には勤務時間及び残業の有無などの勤務状況を明確にする記録は何ら存しないため、その詳細は判然としないことが認められる。
そこで、本件工事についての平吉の勤務状況についてみると、平吉が作成した作業についてのメモである前掲甲第一号証によれば、稼働日数については、若干の他の現場での勤務を含め、昭和五一年一〇月(二一日以降)は一〇日間勤務で一日休み、一一月は二五日間勤務で五日間休み、一二月(二四日まで)は二三日間勤務で一日休みとなっており、特に一一月二一日に休んだ後は、同月二二日から一二月五日に休むまでの一三日間及び一二月六日から同月二四日までの一九日間は、休みを取らず連続して本件工事のために出勤していることが認められる(なお、発症の前日である一二月二五日については、原告本人尋問の結果によれば、平吉は仕事が気になるといって午前九時ころ家を出て、午後四時ころには既に帰宅していたとのことであるが、甲第一号証の同日欄には雨天である旨とこれまでの延べ作業人数と思われる数の記載があるだけで、平吉が出勤した日には必ず記載されている「1.0」等の記載がないのであるから、平吉は、この日は現場には出掛けたものの作業はしていないものと認められる。)。また、残業の有無及び時間についてみると、甲第一号証によっても、一日稼働した場合を「1.0」、半日稼働した場合を「0.5」としたと思われる記載があるだけで、残業の有無は全く不明であるが(なお、一一月二八日の欄には滝田について「1.5」との記載があり、これが残業したことを意味するようにも解し得るが、後述のように一二月二四日に平吉と滝田が残業したのにこの日は「1.0」としか記載されていないのであるから、このように解することはできない。)、(証拠略)によれば、平吉は年末が近づいてからは早出や残業をすることが多くなり、帰宅が午後八時とか九時くらいになって、このころ珍しく「疲れた」、「雨が降るといいなあ」と原告に言っていたこと、一二月二四日には午後五時半の作業時間終了後も滝田と共に現場に残って作業を続け、午後一一時すぎに帰宅したことが認められる。
(三) 平吉の健康状態
(証拠略)によれば、平吉は死亡当時四八歳であったが、喫煙をせず、酒も年に数回建て前のときに少量を飲む程度であったこと、同人は多少気管が弱く時々咳をすることがあったが、そのために仕事を休むことはなく、風邪を引く位で病気らしい病気はしたことがないこと、同人の血圧については、昭和三九年ころ血圧が一六〇になったといって約一年間降圧剤の投薬を受けたことがあるけれども、その後血圧が下がったとして薬の服用をやめ、以後は高血圧症の治療は格別受けておらず、原告も平吉の食事について特別の注意を払っていなかったこと、梶原工務店においては健康診断は行われておらず、そのため平吉の健康状態が具体的にどのようであったかを示す資料は存在しないことが認められる。
(四) 発症当日の平吉の状況と気象状況
(証拠略)によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
平吉は、発症当日の朝、メリヤスの肌着二枚にズボン下も二枚はき、厚手のウールシャツを着て、更にその上に裏に起毛のあるコートを羽織るという服装で午前六時すぎに家を出たが、別に体に異常はない様子であり、鶴田が現場に到着した午前七時四〇分ころには、既に二階部分で食堂、台所の屋根付近の作業を行っていた。
当日の天候は、晴れ一時曇りで、現場に近い中新井観測所における午前六時から九時までの観測によれば、毎時気温はそれぞれ三・四度、三・三度、三・七度、四・〇度、風向・風速は北西又は北北西〇ないし二メートルであって、前数日と比較すると多少気温も高く、また、この年が例年に比べて特に寒い冬というわけでもなかった。
3 以上の事実に基づいて考察すると、本件工事が一般的な建物の場合よりは複雑なものであったこと及びこれを担当した三人の中で平吉が責任者としての地位にあったことや平吉の真面目な性格からすると、平吉は他の二人の指導や工事の進行等について種々の配慮をしていたであろうことが推認され、また、平吉の勤務状況も一一月下旬以降は早出や残業を含む一三日間あるいは一九日間の連続勤務を行い、年末が近づくと帰宅時間も通常より遅くなって、発症の前々日には午後一一時すぎとなっている。したがって、平吉にはそれに応じた精神的、肉体的な疲労の蓄積があったものといわなければならない。
しかしながら、他方で、平吉は型枠大工として少なくとも一四年以上の経験を有し、その技量も梶原工務店で一、二を競う程のものであったのであり、このような平吉の型枠大工としての経験と技量及び本件工事を受け持つようになった際の平吉の言動などからすると、本件工事が、平吉にとって梶原工務店に勤務後初めて経験する複雑なものであったにせよ、それが著しく困難な工事であったとも一概には言い得ない。次に、本件工事の進行状況については、工期を特別に急がされたことはなく、必要があれば平吉からの要請によって応援の大工を求めることも可能で、現にこのような応援も行われた結果、多少の遅れはあったものの一二月二七日に予定されていたコンクリート打ちには間に合う状況にあった。更に、平吉の勤務状況については、前記のような連続出勤の事実はあるが、従来から平吉は雨が降ったとき以外は休みを取っていなかったというのであるから、本件工事だけが通常の工事と異なって過度の出勤を余儀なくさせたといい得るものではなく、残業の点も一二月二四日を除けば年末が近づいてから通常よりも約一時間程度帰宅が遅くなったというにすぎず、殊更に長時間の残業を続けたわけではなく、また、発症の前日には格別仕事はしていない。そして、当時の気象状況も寒さは例年の冬と大差なく、発症当日の気温は前数日よりも多少高く、風も穏やかで、平吉自身も長年従事した型枠大工としての経験から防寒に十分なだけの服装をして出掛けているものと考えられる。このような事実からすると、平吉の年齢や当時の気象状況を考慮に入れても、本件工事に従事したことによる精神的あるいは肉体的疲労の蓄積が、平吉の既存の高血圧症を急激に悪化させる程の負担となるに至っていたとまで認めるには足りないというべきである。
そして、他には、平吉に業務に起因する過度の精神的、肉体的負担があったものと認めるに足りる具体的事実はない。
4 更に、(証拠略)によれば、本態性高血圧症の発症は一般に緩徐であり、始めは自覚症状もないが、漸次自覚症状が現われはじめ、一〇年前後のうちに腎臓、心臓、脳、眼底などの血管に変化を起こしてくることが多く、更に年数を経て器質的変化が進み、脳卒中、心筋梗塞などの合併症を起こしてくることも多いこと、本態性高血圧症があって降圧剤を服用していた場合に服用を中止すると、かえって高血圧症が自然増悪するといういわゆるリバウンド現象があること、脳血管疾患の発症には著しい個人差が存在し、ほとんどの人が障害を起こすことのない程度の過重負荷が人によっては障害を起こすこともあり、また、脳出血は素因のみによって業務と無関係に発症することもあることが認められる。
これらの事実と前記2で認定の事実とを考え併せれば、平吉は昭和三九年に高血圧症で約一年間降圧剤を服用後これを中止し、その後は高血圧症について何らの治療をすることなく、日常生活においても格別の注意を払うことがなかったというのであるから、昭和五一年一二月に脳出血を発症するまでの間に、このような経過が平吉の症状を一段と悪化させて脳血管等の器質的変化を招来させたという可能性も否定できないのであって、平吉の発症は、こうした病的素地の自然的推移の過程において、たまたま業務遂行中に発生したということも十分に考え得るところである。
もっとも、(証拠略)中の医師前田克孝作成の「意見書の提出について」との部分、鑑定人早野嘉夫の鑑定の結果及び証人早野嘉夫の証言中には、平吉の発症の原因として、元来の高血圧症の基礎疾病に加えて過労と寒い屋外作業が悪影響を与えたとする部分があるが、既に認定した平吉の業務内容、勤務状況や当時の気象状況、平吉の防寒態勢などに照らすと、これらの意見に対してはにわかには賛同し難い。
5 以上のとおり、本件に現われた事実関係をもってしては、いまだ平吉の脳出血による死亡を業務に起因するものと認めるには不十分であるといわざるを得ない。
三 結論
そうすると、平吉の死亡が業務上の事由によるものではないとして遺族補償給付及び葬祭料を支給しないと本件処分には違法の点はなく、原告の本件請求は理由がない。
よって、これを棄却し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 今井功 裁判官 片山良廣 裁判官 星野隆宏)